香象承伝01「正木五郎先生のこと」
正木五郎氏は多肉植物普及の先駆者と言える研究者であり、日本多肉植物の会黎明期にも浅からぬ影響を与えた人物です。
これから多肉植物の「今昔話」を綴るのにあたり、まずは先生の略歴を記します。
明治34年(1901)10月6日生。仙台第二高等学校を経て、昭和2年東京帝国大学農学部農芸化学科卒業。引き続き昭和5年まで同大学院で発酵化学を攻究。
昭和25~32年、長野県北佐久農業高等学校に教諭として勤務。
生徒間での先生の字(あざな)は「神様」。英語・仏語・独語に通じ言動は軽からず気品に満ちた風貌からと思われる。
以前から海外の種子会社「Vilmorin(ヴィルモラン)」「Thompson&Morgan(トンプソン・モルガン)」「Koehres(ケーレス)」他より種子を導入し、多肉植物を主に実生を行い多数種の園芸名(和名)を命名する。
この頃、長野県在住の臼田功氏(のちの臼田清花園主)、横森道二氏(のちの日本多肉植物の会甲信支部長)が松本錦園(田中喜佐太氏)を見学に行った折に、「佐久には多肉植物の大先生がおられる。」と聞き、早速先生のご自宅を訪ねたところ、慈光錦(Cheiridopsis candedessima)の大群生株を示された。臼田氏はこの初めて見る植物に魅せられて以来多肉植物の虜になった、という逸話がある。
昭和32年教員を定年退職。昭和33年信州サボテン専門家連盟の顧問、日本多肉植物の会客員を務める傍ら全購連石灰肥料工場に勤務し昭和40年4月退職。更埴市屋代の西村理登太氏宅に転居し、氏農場で5年間は多肉植物研究に没頭した。その後更埴市寂蒔に転居し、更なる研究と[実生録]の編纂に打ち込む。
平成4年10月31日91才没。
著書に
「多肉植物種類と培養」(昭和34年信州サボテン専門家連盟刊)
「女仙」田中喜佐太氏共著(同刊)
「趣味の多肉植物」(青人社刊)女仙の項執筆
「最新園芸大辞典」(誠文堂新光社刊)多肉植物メセンの項執筆がある。
先生直筆の命名録にはメセン710種(内命名種179種)、その他の多肉植物88種(内命名種40種)の記載があり、実生総数798種、命名種は209種となる。
この記事を書いた人
-
タイトルは「こうぞうしょうでん」と読みます
長野在住
多肉含めて植物全般「今昔」いろいろを語ります
最新の投稿
- 多肉植物今昔2024年7月31日香象承伝18「Sempervivum」02
- 多肉植物今昔2024年6月25日香象承伝18「Sempervivum」01
- 多肉植物今昔2024年5月10日香象承伝17「薔薇玉」
- 多肉植物今昔2024年4月1日香象承伝16「Graptopetalum “Kingstar”」
素晴らしいです!
ずっと Titanopsis と aloinopsis になぜ天女 と付くのか調べているのですがわかりません。何か手掛かりがありますでしょうか?
みいさぼさんコメントありがとうございます。
先生直接の命名ではないので書簡などから手がかりを調べましたが、いろいろ長くなりそうなので次回の記事に予定しています。もうしばらくお待ちください。
ありがとうございます*\(^o^)/*
次の記事楽しみにしています!