香象承伝「Delosperma cooperi」01

Delo.cooperi (Hook.f.) L.Bolus 花嵐山(はならんざん)/麗光(れいこう)

南アフリカの高尚なドラケンスバーグ山脈、西ケープの山々、グレートカルー砂漠の冷たい高原に由来する最高の耐寒冷種です。本邦には1960年初頭頃、南アフリカより正木五郎先生が種子で導入、実生して冒頭の園芸名「花嵐山 はならんざん」と命名されました。その正確な年代は不明ですが1971年正木五郎命名録に記載されています。当初発芽・育苗した幼苗を交流のあった各方面に配布されましたが、配布時には学名のみで園芸名は付けた後で報告するのは他の植物でもよくあることです。
その証拠にその後、臼田清花園の1965年発行カタログに(D.sp)「麗光」として発表されました。そこにあえてD.spと付記されていることから、先生から新命名「花嵐山」の紹介がなかったと推理します。当時、輸入球は現地より発送時に属名は判明していても、種名が未確定の場合に「sp.」としたことが多くありました。
2017年8月27日発行の地元紙、上田・小諸のローカル新聞「東信ジャーナル」に児玉永吉氏(初代錦玉園主)が驚異的耐寒性、合わせて旺盛な生育と開花時の壮観さを紹介しています。「この麗光を長野国体会場に大量に植えたい。」と三度にわたって記事を提供し、啓蒙していました。

正木五郎先生命名の花嵐山は「ハナランザン」と読むべきが、「ハナアラシヤマ」とも読めることが一般にネックとなって使用頻度が減少しました。この命名録には1971と先生自筆で発行年が記入さていますが、同様のものが複数作成されていて交流のあった方々に配布されていたことがわかります。当時、メセン類は凍結で枯死するものという既成概念があり、冬の厳寒期に零下12~3℃まで下がる高冷地信州では露地植え植物として普及に至りませんでしたが、今や日本全土のあらゆる公園・道路緑地帯などに繁茂しています。

耐寒力について先生からの手紙、「正木五郎録」第2巻881頁に記述されています。
「中村勝廣様 S.50年6月5日 正木五郎
花嵐山 Delosperma cooperi サキュレント誌上にてすでに発表されました花物メセンですが、下記の通り資料があったのに見過ごしました。ご参考に供することできなく残念です。遅ればせながら記してみます。要するに耐寒力大であることがすでに発表されていたのです。戦後(第二次世界大戦)真っ先に発行されたフランス本ベルトラン著「多肉植物」、以前に供覧に供したことのあるあの美本に花嵐山のカラー写真と記文があったのです。其処には「Delosperma aberdeense 花飛鳥 はなあすか」と共にパリ近郊ではかなり普及している云々。(以下略)」 とあります。(続く)

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この記事を書いた人

七宝樹
タイトルは「こうぞうしょうでん」と読みます
長野在住
多肉含めて植物全般「今昔」いろいろを語ります

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